こんにちは。おつかれさまです。ササハラです。
前回記事から少し時間がたってしまいました。
最近は、ブログとともにnoteというブログアプリ?に時間を使っていたので、こちらに手を回せないでいました。
とは言え、note記事も、このブログ記事をリライトしたりしているだけなので、そんなに手間ではないのですが、ネタもそんなにないことも相まって滞っていました。
最近はじめたnote↓↓

noteのいいところは、恥ずかしいことや、あまり知られたくないことを有料記事として出すことで、私と読者さまでお互いにwin-winになることでしょうか。
私としてはそこまで知られたくないけど、どこかで誰かの役に立つなら勢いで書いてしまえという記事をアップする。また、読者様からすれば、こいつのこれはちょっとお金出してでも読んでみたいぞという期待感で買っていただく。そこが釣り合ってちょうどいいのかなと思います。
noteにそれなりの記事を貯めて、アカウントとしても少し華やかにお化粧作業していたので、そっちに時間を割いていました。
そして、本日はこちらのメインブログ。
別に何ってないんですが、最近思うことを徒然なるままに書いていきたいと思います。
よろしくお願いします。
最近思ったことあれこれ。
ブログ、YouTubeなどで批判的なコメントを残す人ってのは何なんだ。
私はこうやってブログやYouTubeをかれこれ5年くらいの期間、規模は小さいにせよ、運営しているので日々コメントや、リアクションをありがたいことにいただきます。
その中で、内容や、私の姿勢(行動、言動)などに注意してくれる方っていうのはすごいありがたいし、その通りやなと反省して、次に生かそうとなります。
例えば、私は食事しているシーンを度々流しているので、その中で、「茶碗の持ち方がおかしい」とか、「丼に箸を立てかけるのはよくない」とかまさにおっしゃる通りのコメントがあってそれは自分自身のマナーを改める機会をいただいたことなので感謝しかないです。
また、動画の中で、「BGMの音がデカい」とか「テロップが邪魔」とかっていうのも、動画を観やすく作っていくためにありがたい指摘なんで、快く受け入れます。
ですが、ここからです。問題は。
そういう指摘とは別に、どういう批判?というのもあります。
例えば、私がフィリピンのマニラ、マカティで最近強盗が多いから気を付けましょうね。服装は目立たたない格好で、持ち物も最小限にしてくださいという注意喚起をしたところ、「マニラで危険とか言ってるの笑える」とか「マニラは安全なのに危険と決めつけるなよ」とか。
???
それは誰の何の役に立つコメントでしょうか。
いいんですよ。私のコメント欄で憂さ晴らししてくれるのは。でも被害にあわないために気を付けましょう。と言っている動画で真反対のことを言ってくるのって不思議なんですよね。
別にその方が全く持って安全だと感じるなら、何の対策もせずに出かければいいだけなので、「どうぞお好きに」でしかありません。
まして、そのフィリピンは安全と思っている人がなんで「強盗対策動画」なんて視聴するんでしょうか(笑)
そこがね。よくわからないんですよ。
例えば、お前のこの対策は不十分だから、もっとこうしろとかならありがたいです。
さらに帯を締めるいい機会ですので。でも、フィリピン安全!と主張する人が一定数いて、それを強引にコメントされます。
私も、フィリピン安全。と思いたいです。でも実際に携帯をポケットからスられた経験がある以上、うそでも「フィリピンは安全!」と主張できないですね。
人はどうせ死ぬ。
そう、最近これをめちゃくちゃ考えるようになりました。
ポジティブな意味で。
私は現在33歳で、80歳で亡くなるとすれば残り47年です。約2,400週間です。
そうやって週間換算すると、なんか短く感じるんですよね。
「だからこそ毎日を死ぬ気で生きる!」みたいなきれいごとを言うつもりはないんですが、やっぱり、このエネルギーを何かにぶつける必要はあるだろうと感じます。
例えば、最近YouTubeを積極的に更新しているのも、この考えがあっての事だったりします。
屋外でカメラ回して撮影するっていうのは、億劫になるし、少しの恥じらいがあります。
ただ冷静に分析してみると、私はフィリピンに住んでいて、周りはほぼほぼフィリピン人。何に恥じらってるの?って感じです。(笑)
ご飯食べている姿を撮っていたとしても、だれもお前の食事姿なんぞ、興味もないし、見ていない。自意識過剰!!って思えます。
また、日本人がフィリピンのあれこれを撮影しているのなんて、そのままの「ザ・日本人」っていう感じでむしろ普通だろうと。
その感覚になってきたので、バシバシ撮影してアップロードしています。勢いがついています。
職場で「YouTube見つけちゃいました」とお声かけていただくこともちらほら出てきました。
でも、それが嫌でやめるなんてことは全くないし、むしろ加速です。
こんな弱小チャンネルがおすすめに上がってくるなんて、チャンスでしかないだろうと。
フィリピントピックに一点集中。今がチャンスです。
「どうせ死ぬ」マインドを持っておけば、何かを実行しようとするときに、背中を押してくれます。
・どうせ死ぬから、えいやで今日はジャンクフードいっちゃう。
・どうせ死ぬから、恥じらいなく撮影する。
・どうせ死ぬから、機嫌よく生きておこう。
・どうせ死ぬから、欲しいと思ったものはとりあえず買ってみよう。
こんな調子ですね。
これが度を過ぎて首が回らないとか、生活、人間関係に問題が生じると、それはポジティブなエネルギーでなくネガティブに働いているものなので、改めないといけませんが、ポジティブなほうに「どうせ死ぬ」を起爆剤として使えたら人生楽しくなると思います。
何事も過程が一番たのしい。
これもよく言われることですよね。
山登りで、みんな頂上を目指すのはその過程が楽しいからであると。
もし、山登りを趣味、生業にしている人にヘリコプターで頂上連れて行ってあげますよと言っても、よっぽど特別な理由がない限り、断るんではないでしょうか。
自分の足で登るから意味があります。
また、旅行もそうですよね。準備しているときのワクワクは何ものにも代えがたい。
もちろん、気の置けない仲間と、楽しくわいわい旅行してもそれはそれで楽しいんですが、ああでもないこうでもない。ここ行きたい、あれやりたいと計画しているときが、興奮レベルはマックスな気がします。今までの経験上。
何度も例えでYouTubeを使っちゃいますが、こちらも最初はまず1,000人登録者だ!と鼻息荒く目指していましたが、達成してみるとなんてことはない。ただの一つの数字に過ぎません。
それよりもやっぱり、視聴者さんから「一緒に飲みたいですね」とか、「参考になりました!」というコメントをいただくときのほうがはるかに興奮します。
そうやって興味を持っていただくために、次は何をアップすればいいかなと脳が汗をかいている瞬間が一番楽しいのかなと思います。
1億円貯めて、FIREだ!配当生活だ!とやっても孤独で何に対しても無気力、人と交流することもなく、日々を消化するだけではそこに意味がない気もします。
実際に、そういう事例は少なくないらしいです。
何をするにも、共有できる家族、仲間がいて、初めて充実しているという実感がわくと思うので、まずは何か目標を立て、そこにがむしゃらに進んでいく。これこそが私たちの存在意義であると最近は答えっぽいものが見えつつあります。
まとめ
はい。本日はどうでもいい雑談をお送りしてみました。
つまらないと思われた皆さん、すみません。。。。
でも、いいんですよ、これは完全に個人のブログなので(笑)
自分でお金払って、運営して、それに一人でも共感していただけることができればそれが、このブログのゴールです。
ロックンロールバンドが目指す場所はね。無いんだよ。
例えば、ホウキでもいんだ、ギター持ってなくてさ。教室の隅っこでワァーってなる。 すっげぇ楽しんだ。
「そこがゴールです。そこにずっといるんだよ。そこからどこにもいかないんだよ。」
それが東京ドームであろうが、教室の隅っこであろうとそんなの関係ないんだ。
ロックンロールバンドは最初から組んだ時点でゴールしてんだ。目的達成だよ。
By 甲本ヒロト
これがね。僕の中では痺れすぎててずっと心の中にある言葉です。
また、哲学者ニーチェも、最終人類が目指す場所は”赤子だ”って言ってるんですよね。
私には、1歳の息子(赤ちゃん)がいるんですが、なんとなくわかります。
もう行動がハチャメチャすぎる。
気になったものは口に入れるし、叩くし、投げる。
プールに連れていけば、自分から溺れに行く。
奇天烈すぎて、ついていけません。
でもその好奇心でいいんだと。過去の偉人はメッセージを残しているわけです。
この好奇心を息子に分けてもらいながら、今後も息長く運営してまいります。
まとまりのない記事でしたが、本日は以上です!
また次回お会いしましょう!ありがとうございました。
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