まいど。おつかれさまです。LIFETYLE SASAHARAです。
フィリピンマニラにまたロックダウン、移動制限の延長が出ましたね。
毎回こういったフィリピンニュースを見るたびに「これ何回目?」、「制限レベルが上がったり下がったりしているだけで何も変わってなくない?」と思っちゃいます。
これは世界中の課題なんですが、本当に何が正解なんでしょうか?(;^_^A
フィリピンのように移動制限、隔離生活を強烈に実施しても、制限解除し1か月2か月経つとまた同じ状況ですもんね。
日本も程度は低いにしても、緊急事態宣言を発令したり解除したりでゴールがないです。
よくインフルエンザウイルスとの比較がされるんですが、インフルエンザウイルスにも終わりはないですよね。秋冬になるとすぐ流行する。だから、この言葉が適切かどうかはわからないんですが、共存するしかないんじゃないかと。
これありきで生活する。
このコロ助騒動の影響で外出時には絶対マスクをするようになったし、会話の際もマスクをします。
そして、店に入る前は必ずアルコール除菌する。すべて常識になりました。
家に帰ったら手洗いうがいする。起きた時には歯を磨く。
このレベルの習慣が新しく生まれました。
10年後にこのブログを読んだときにどうなっているかはわかりませんが、多分まだマスクつけてる気がします。予防にはそれが一番ということが世界中に浸透したので、ずっと続けていることでしょう。
このコロ助騒動が始まったときは、Asawako(フィリピン人 妻)も頻繁にニュースをチェックしていたらしいんですが、もう今では、状況は何も変わらないし、観てもストレスになるだけだからニュースチェックをやめたと言っていました。
そのおかげか結構メンタルが安定していて、コロ助騒動初期のイライラも少なくなったように感じます。ストレスになることは反応しないほうがいいです。
ただ、そんなAsawakoもただ一つだけずーっともやもやしていることがあります。
それが、うちのボスベイビーの1歳の誕生日なんですね。
「1歳の誕生日にお父さんがいないってどういうことなんだ。子供もそろそろお父さんがいないことを理解しだす」と心配になってきているみたいです。
確かに1歳の誕生日は一緒に過ごそうと約束していました。
「なんとか渡航を!」と考えた時もあったんですが、2週間の隔離+その間の仕事のこと。お金のこと。色々考えると現状無理です。
まして、この強烈な移動制限。フィリピン人ですら仕事がなくなり、日々の生活が危ういというのに私が行ってどうなるんだという話です。というか受け入れてくれないでしょう。
やっぱり日本でせっせと働いて送金する他ないんです。
あと、私の場合ですが記憶として覚えているのは6歳(小学1年生くらい)なんで大丈夫なんじゃないかと思ってます。保育園の記憶とかマジでないです。友達の名前もひとりとして覚えていません。汗
小学1年のときも怪しい。そんなもんなんです。
だから究極、お父さんの存在はそれくらいからでも遅くないんじゃないかなと勝手に思ってます。
とはいえ、Asawakoの気持ちも痛いくらいにわかるし、私も息子に会いたい気持ちは山々なんですが今は我慢です。
あと、少し思っているのはAsawakoが日本に来るほうがすんなりいくんじゃないかということですね。息子のパスポートさえゲットすれば、なんとかなる気がしています。
このロックダウンで、郵便局も閉まっていて私の戸籍謄本がずーっと入手できないっていう段階で止まっているらしいんですが、そこをなんとか乗り越えて、日本に来て欲しいですね。
今日のタイトルに戻りますが、やっぱり焦っていいことなんてないと思います。
このコロ助騒動での学びです。
フィリピンへのフライトがキャンセルになった時も、Aaswakoの短期ビザ申請をしていて申請が下りないとき時も、お互いイライラする。
でもどうしようもないことを、どうにかしようとしてイライラするくらいなら、現実を受け止めて、やれることを小さくやるほうが良くないですかってことです。
投資や貯金と似たような感じです。
一発逆転。一発大当たりを狙うから失敗する。そうじゃなくて、こつこつと今できることを小さくやる。そして気づいた時にはちょっと形になっている。それがいいです。
今無理に動こうとせずにお互いがお互いの現状で出来ることをする。
だから、1歳の誕生日にはまたテレビ電話をつないでささやかにパーティしようという提案をAsawakoにします。これで納得してもらいます。
逆鱗に触れぬようやんわりと。(笑)
みんなが苦しい状況なので、個々でやれることをやりましょう。
焦っても仕方がないので、ぼちぼちで。
継続は力なり。
では、また。(´▽`)
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